思ったこと10分一本勝負

思ったことを1日あたり10分の制限時間で綴って、いつか本にすることを目標にしてみる

7月19日 読書感想文

夏休み目前

あるいは

夏休みに突入したのかも。

 

 

宿題は鬱陶しいですな。

なんで休みに勉強せなアカンねん

って思うやつです。当事者は。

 

 

ところが、

外野から見たら

宿題くらいやらせておかないと

ハリがない

と思うやつです。

 

まあ、ドリルとか練習帳とか

そういう類はそういう風に思います。

 

 

さて、

 

 

夏休みの宿題の定番メニュー

といえば

 

 

「読書感想文」

 

 

はたして意味があるのかしら。

 

わたしのTwitterさんのタイムライン上に

小学生の頃のトラウマ的なあるある投稿が

出てきて、

 

「ネタ探しがまずヤダ」から

「提出に間に合うようにテキトーに書いたら、面白かったと言うまでやり直しさせられる」まで、

 

誠に意味がない。

 

 

今の先生がたはどうお感じになるだろうか。

 

 

いち個人のなんでも無い感想として、

(コレを書いておかないと「自分の正義を押しつけ、降伏するまでやらないと落ち着かないバカ」の攻撃をうけるので)

 

 

面白くないものに

面白かったと言わせることが目的になっていることこそ悪手である、と思う。

 

面白くないという意見を表現してくれただけでも

誉めてやらんとイカン。

 

 

子どもたちにとって

自分の意見・感想を表現する機会は貴重で、

頭ごなしにベシャっと否定すると

「否定されてしまった」「思ったことも言えない世の中」「もういい」と

(決して大げさでなく)“私”そのものを否定されたと捉えかねない。

 

 

むしろ(それが提出に間に合わせるだけのテキトーな感想だったとしても)

「なぜそう思ったか」「どこの場面が気になったか」を掘り下げてやるといい。

そこが文学・カルチャーの面白さであることを

気づかせてやるのがいい。

人によって感想が、見てる場面が異なる面白さに気づかせてやるのがいい。

 

 

そもそも

やれ「活字だけ」やれ「マンガだめ」は

もはや主たる目的から外れていることに気づけていない。

 

マンガの1ページはおろか

小さな一コマ・さりげない吹き出し

そのキャラクターの感情を推し量れる子は

その感性を大いに育てるべきである。

 

バラエティ番組でも

「このセリフがあるからこそ…」

「このさりげない行動が後の伏線として…」

と紹介してくれているではないか。

立派な“読書感想文”である。

 

 

そもそもこうなると

「読書感想文」という題目がよくない。

 

 

提案として置いておく。

「みんなへの推薦文」で

お題関係なしにノビノビと表現させてやろう。

きっとその子たちの未来への伏線になる。